白谷雲水峡の「もののけ姫の森」往復トイレッキングは都合3時間ほどでした。雨は強くなったり弱くなったりで止むことはありませんでした。しかし、雨が苔むした森を一層際立てて美しいものにしてくれました。太宰でしたか「富士には月見草が良く似合う」といった文章がありますが、「屋久島の森には雨が良く似合う」のではないでしょうか。
そういえば、この往復の途次、若者が歩道ではない立ち入り禁止の場所に足を踏み入れていました。「そこは歩道ではない」と云う熟練氏の注意を聞き入れず、近道宜しく坊弱無人の行動です。こういった心無い観光客の行為が無垢な自然を破壊するのかも知れません。
駐車場で少し休憩してバスで次に移動です。雨の中のトレッキングで衣服も濡れ、体も冷えたので温泉はどうかと云う声もありました。一方、土産も物色したいと云う声もあり、結局マキとバスガイド氏の相談で土産物店に直行となりました。
土産物店は大きな造りで2Fにはレストランがあります。レストランの奥には座敷もあります。この座敷を借りて着替えが出来ました。僕は特に着替えとて持参していませんので皆さんが着替えている最中、土産を物色したりレストランのメニューを冷やかしたりしていました。
バスガイド氏が「屋久杉の民芸品の値段に気を付けて」といった趣旨の注意を喚起していましたが、確かにものによっては数十万円~百万円以上の値札がついた民芸品も並んでいました。ガイド女史は「屋久杉で作った箸が人気です」と云います。
僕も二度とは来ないかも知れない屋久島の記念に何か買い求めたいと思いました。そこで、箸等を物色した結果、手頃な箸と日本酒用のお猪口を選びました。お孫さん連れのご婦人は留守番している孫たちようにと、たくさんのお土産を買い求めておられました。
ちなみに屋久島は、ガジュツやウコンなどの薬草を多く産出し、薬の島とも呼ばれているとか。中でも「胃腸薬 恵命我神散のふるさと」だとガイド女史が言います。江戸の藩政時代、屋久島を管理した屋久島奉行所の規模帳に黄蓮、笹、薩摩人参、マクリ(海草)、鹿茸(動物生薬)などが記載されているそうです。これらは森林・海洋など豊かな島の自然環境に育てられたものですが、島津藩はこれらを屋久杉とともに管理下におき、専売品として移出していましたと云います。
ガジュツと云うのは、熱帯アジアを原産とするショウガ科植物の根茎で、中国明時代の生薬研究の書「本草綱目」にも上薬として収載され、古来より珍重されてきましたそうです。わが国への渡来の歴史ははっきりしませんが、関ヶ原の戦いで猛将としてその名を馳せた薩摩藩主島津義弘公が、1603年(慶長8年)種子島家の十六代当主種子島久時公にガジュツの薬方を伝授したとの記録があると云います。 以来、明治に至るまで種子島・屋久島の重要な産物(御禁製品)としての扱いを受けていたことが諸文献に明らかにされているとか。
ガイド女史曰く「たんかんが美味しい」とか。僕は「たんかん」と云うのは初耳でした。
「たんかん」とは、「ポンカン」と「ネーブルオレンジ」の自然交雑で出来た柑橘系の果物で、中国広東省原産だと云います。その風味はオレンジに似ているのですが、柑橘系の果物の中では一番糖度が高く、また、たっぷりの濃厚な果汁にはみかんの約2倍のビタミンCが含まれているそうです。収穫時期は2月中旬から3月上旬で、1年でこの時期にしか食べられない最高品質のフルーツとして、たいへん人気があると云います。