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Channel: 私の高橋真梨子論
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真梨子紀行134

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 今年は真梨子さんのメデイア露出が頻繁です。先日も日本テレビ「ぐるぐるナインティナイン」 9月5日(木)19:00〜20:54「ゴチになります!」コーナーに萬田久子さんと出演されていました。きっと萬田さんに強姦されての出演だったのでしょう。ご本人は、どのように感じられているか定かではありませんが、小生的には「真梨子さんにはバラエテイーは似合わない」印象を強く持ちました。
 そもそも、小生、あの岡村という仁が嫌いです。ああいった芸風がもてはやされることが理解に苦しみます。真梨子さんに、こんな番組に出演してほしくはありませんでした。でも、萬田さんに免じて今回は許します(笑)。萬田さんと共演したNHK Eテレ「ミュージック・ポートレイト『高橋真梨子×萬田久子』」は最高でした。やはり、真梨子さんは、こういった番組が似合います。都倉先生や亜美ちゃんと共演したSONGSも良かったです。亜美ちゃんの「真梨子ちゃん」には些か驚きましたが、それもご愛嬌です。亜美ちゃんは真梨子さんより10歳近く年下ですが、若い頃は、渡辺真知子さん達を交えて「真梨子ちゃん」と呼び合って今風に言えば「女子会」で盛り上がっていたようです。聞くところによると亜美ちゃんは収録前に「真梨子ちゃん、って呼んで良い?」と確認していたとか。真梨子さんと亜美ちゃんは、萬田さん同様、強い絆で結ばれているように思います。
 さて、「高橋40年」です。「Sincerely」の話でした。ユニマットのイメージソングだと話をしました。この後、「そっと…Lovin’ you」「So in Love」と続きました。いずれも佳作です。小生は中でも「So in Love」にゾッコンです。この作品は良いです。ちなみに「So in Love」と云うのは「深く愛している」といった意味の英語表現、慣用句です。確か、今年のツアーではメニューに入っていたような・・・。
 11曲目は「ごめんね」です。言わずと知れたバラードの女王たる真梨子さんの代表曲のひとつです。「for you…」が東の横綱なら、「ごめんね」は西の横綱、真梨子ワールドのツートップを形成する珠玉の作品でしょう。セールスだけで云うなら、「ごめんね」こどが90万枚のロングヒットを重ねた真梨子さんの代名詞と云っても過言ではないと思います。
 「ごめんね」は、ご存じの通り日テレ「火曜サスペンス」の主題歌でした。当時、小生も働きもので、残業を終えて帰宅すると妻と娘が眠る枕もとのテレビで真梨子さんの歌声が流れていたことを懐かしく思い出します。
 「ごめんね」のヒットに気をよくしたのか日テレは真梨子さんの作品で二匹目の泥鰌を「幸せのかたち」で狙ったのでしょうか。この作品も小生、大好きですが、「ごめんね」ほどは売れませんでした。くいった作品が広く世間の支持を集める社会であって欲しいと願うのは小生だけでしょうか。
 今週(2013年9月15日の週)は、真梨子さん、北陸行脚です。石川、富山を回ります。今年の後半のコンサートは8月18日の岩手から始まっています。先週は四国の高知公演でした。今度の東京公演は11月です。もう2か月の我慢です。真梨子さんには、元気でフォーラムに凱旋して欲しいものです。
 では、また。

■仙丈ケ岳11

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 長衛荘の食堂での朝食時、お弁当も用意されていました。おにぎり弁当です。これが、なかなかの優れものでした。三角形のおにぎり二つに焼売等のおかずが入っています。おにぎりには海苔が巻いてあってお米も美味しかったです。
 朝食は5;30前と早かったので、11時くらいには空腹を覚えました。休憩の際にお弁当を開けて、おにぎりを一つ食べました。ガイド氏が「今食べて昼食は、どうするの」と心配してくれました。僕も全部食べる気はないので、残りは山頂での楽しみに取っておこうと思います。
 山頂の手前に少し危ない箇所があります。躓くとカールに真っ逆さまなので、注意して歩きます。添乗員氏も「危険なのは、ここくらい」と言います。小仙丈の方を振り返ると、「こんなに歩いて来たのか」と感慨を覚えます。空は相変わらず晴天で甲斐駒の勇姿も良く見えています。
 話、変わりますが、スマホのバッテリーの件です。朝食後、出発を待つ間、受付で「スマホ充電できませんか」と尋ねると「1時間100円」で充電してくれるとか。早速、スマホと充電器に200円を添えて受付に差し出しました。まだ、5:30くらいだったので2時間は十分に充電出来ます。お蔭で、仙丈ケ岳登山中もスマホは元気です。尤も、通信不可で単なる時計代わりに過ぎませんが・・・。
 気を取り直して、山頂を目指します。この辺りは森林限界ですが、山肌を覆う緑のカーテンも少なくありません。天気も良く周囲の景色も開けています。北岳の向こう側に富士山の山容も薄っすら視界に入ってきます。
 漸く山頂です。山頂は岩場で少々立っているにも難渋します。標高3,033mを示す木製の標識が立っています。標識の後ろに少し大きく平坦な岩がありました。そこに上がって周囲を見回すと、北岳や甲斐駒は言うに及ばず、八ヶ岳や富士山といった大パノラマが広がります。
 山頂で、暫し休憩です。話、戻りますが、長衛荘で誂えた、お弁当は小仙丈ヶ岳で残りを食べました。僕達同様に昼食を摂るグループも少なくありません。狭い岩場が満席?状態でした。繰り返しますが、長衛荘のお弁当は「Good」です。
 さて、山頂を後にして本日の宿、いや宴会場かも知れませんが、仙丈小屋に向かいます。南アルプスの女王と称される仙丈ヶ岳の山頂部には、三つの顕著な カールが広がっています。そのひとつ藪沢カールの中に仙丈小屋は位置し、目の前の甲斐駒から八ヶ岳、北アルプスのパノラマが楽しめるビューポイントだとか。 稜線の花々を愛で、夕映えから御来光まで、雲上のひとときをのんびりと過ごす憩いの場として最高だと云います。
 僕達もカールを巻くように仙丈小屋に続く登山道を下ります。小屋までは30分くらいだったでしょうか。小仙丈ケ岳を過ぎた辺りで臨んだ小屋の姿が見えて来ました。小屋の周りには若いカップルや熟年グループの姿が、其処彼処です。
 添乗員氏の話では「ここのトイレはバイオトイレ」だとか。人間の排泄物をバクテリア等で浄化して土に戻すやつです。屋久島のトロッコ道にも設置されていました。小屋脇の風車が並ぶ足下に浄化槽があるとか。
 「生ビール800円」の看板が目につきます。ビールは2階で販売しているようです。添乗員氏のチェックインを暫し待ちます。

■仙丈ケ岳12

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 仙丈小屋は、仙丈ケ岳東150m、藪沢カール内に立地し、標高は2900mです。収容人員は55人とか。長野県長谷村(現伊那市)が新しく建設したもので、太陽光と風力の発電装置を備え、トイレ処理もバイオトイレを採用しています。カールの全景を眺めることができる眺望も魅力だと云います。
 小屋は木造三階建てです。受付は小屋の左側の階段を上がって左の入口を入ったところです。入口入ったところに少し空間があります。ポール置き場や靴箱等もあるようです。簡易なベンチもあったような・・・。その空間の奥にカウンターがあります。ここは売店です。ビールやワイン、日本酒等も販売しています。もちろん、おでん等の肴もあります。そのカウンターの対面が厨房です。厨房カウンターの左側に飲料水のポリタンが用意されています。宿泊客は無料で、飲料水の補給が出来ます。厨房の前には大きなストーブがあり、その前後にテーブルが3つ並んでいます。ソフトドリンクで癒されムードの宿泊客の姿もあります。
 そして、奥が座敷になっていて居酒屋の小上がり宜しく幾つかの座卓が並んでいます。ここで、持参の酒類を持ち寄って呑むのも自由です。小屋の外壁右側に自炊場が隣接しています。所謂、バラック造りです。トタンの波板で囲われた一角です。自炊場の中には天水を使用した水場があります。天水ですから飲用として利用出来ません。
 自炊場を抜けて左側の出入り口を出た所にトイレがあります。トイレ事態は清潔ですが、水洗の水の色が聊か驚きです。最初は汚物が詰まっているのかと思うような色でしたが、それがバイオトイレの証?のようです。トイレは外にしかありません。夜間は小屋周りの電灯が消えてしまうので、ヘッドランプが必需品です。
 チェックインが完了して小屋スタッフが寝所に案内してくれます。2階の出入り口を出てデッキを左に歩いて、3階に上がる階段を登ります。3階に広い寝所スペースがあります。入口を入ると右側にストーブがあります。沓脱スペースがあって、左側に大きな靴箱があります。ストーブの脇にはポール立てもあります。
 小屋スタッフの若い男性が、「12番~16番を使って下さい」と指示します。寝所スペースは長方形の座敷に隙間なく布団が敷かれています。奥の壁に棚が設えられていて、この棚に番号が振られています。棚はザック等の荷物置き場として使えます。小屋スタッフ氏は「女性は、xx番を」と細かい指示を出します。女性は女性同士で隣り合うよう配慮しています。
 早速、靴を脱いで座敷に上がり、今夜の就寝スペースを確保します。先達婦人は、隣り合った女性客と一緒に毛布を三枚確保されていました。僕も枕と毛布をセットして、横になってみました。西穂山荘を思えば天国ですが、長衛荘とは打って変わった狭小感は否めません。
 夕食には間があるので、2階の座敷で呑むことにします。僕は持参のテキーラを持って行きました。座敷に上がり右から3番目の座卓に陣取ります。テキーラは1月に旅したメキシコ土産です。僕はメキシコでは焼酎みたいに「お湯割り」で呑んでいました。
 ガイド氏は「テーキーラみたいなのはショットグラスでグイっとやる」のが王道だと云います。初対面氏は持参のウィスキーの小瓶を開けて水割りにして呑んでいます。この仁、ビール党と称しますが、お酒は何でもあれのタイプのようです。

■仙丈ケ岳13

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 生ビール800円も調達しました。初対面氏も最初は缶ビールを呑んでいました。ビールを終えて、僕は日本酒に切り替えます。コップの在庫が切れました。添乗員氏とガイド氏はコップ代わりに小屋特製の「仙丈」ワンカップを調達します。肴は、ガイド氏提供の「あたりめ」等、乾きものです。
 気が付くと壁際の座卓でワインを呑んでいるのは、昨日の晩、長衛荘でお会いした名古屋のご夫婦でした。彼等も、今日は仙丈ヶ岳に登ると言っていたので、僕達と同じコースで、仙丈小屋泊りなのでしょう。昨晩、「また、どこかで」と言って別れたのですが、こんなに早く再会するとは思いませんでした。
 呑んでいる中にも三々五々、宿泊客が到着します。この2階にはロフト?があって、そこも宿泊スペースになっているようです。厨房と小上がりの間くらいにロフトに上がる収納式の階段があります。幼児が階段を上がったり下りたりして遊んでいます。
 管理人が何か大きな声を掛けています。何事かと思ったのですが、10人くらいの老若男女のグループ用に座卓を一つ用意するので、その断りだったようです。グループは用意された座卓に腰を下ろし、生ビールを注文します。女性陣の嬌声が耳につきます。
 管理人は、この座敷も宿泊スペースなので、時間になったら空けてくれと云います。夕食は6:00だったでしょうか。僕達の後ろの座卓にも、熟年グループが陣取ります。老人男性の振る舞いが聊か疎ましく感じられます。
 時間になり、座敷から撤収します。座敷には文庫があります。さほど大きくない本箱に漫画や山関係の本が詰まっています。ここから寝所に本を持ち出すこことは許されているようです。添乗員氏とガイド氏が何冊が抱えて寝所に上がります。
 座敷の壁に面白い張り紙がありました。曰く「心の充電、洗濯、山でしませんか」。添乗員氏は、このコンセプト?が甚く気にいったようです。今回も山に登って、酒を呑むことが目的のように歩いて来ましたが、このコンセプトに通じるところがあるかも知れません。ガイド氏も「山頂を極めるだけが山ではない」と言います。
 夕食はハンバーグだったでしょうか。管理人が盛んに「奥でお願いします」と叫んでいます。厨房のカウンターで人数を言うと、人数分のトレイが出て来ます。トレイの上に主菜その他が載っています。ご飯と味噌汁はセルフです。奥の座敷も、ご飯と味噌汁のセルフコーナーが用意されていました。管理人氏が叫んでいるのは、これでした。僕が厨房脇のセルフコーナーでご飯を注いでいると「奥でやって欲しい」と聊か人を小馬鹿にしたような言動でした。サービスを生業にする職業柄、もう少し言葉使いには注意すべきでしょう。この一言で、管理人氏の印象は最悪になりました。
 食事を終えたら寝るだけです。8時には消灯です。夜間トイレ用に添乗員氏がヘッドランプを貸してくれました。お酒も入っていたので横になるとすぐ寝入ってしまったようです。気が付くと、まだ24時前です。時計代わりのスマホが未だ健在?です。先達婦人に教わってスマホを「機内モード」に設定した成果?です。「機内モード」の設定方法が分らなかったのですが、電源OFFと同じ操作で「機内モード」のメニューを選択できることが分りました。「機内モード」にすれば、電波を探すことでバッテリーを消費することもありません。
 ヘッドランプを点灯してトイレに行きます。屋外に出ると満天の星空です。

■仙丈ケ岳14

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 小屋の前の広場には何組かの登山客がプラネタリウムの様な夜空を眺めています。都会では、お目にかかれない星座をカメラに収めている向きもあります。流石に夜露は冷え込んでいます。バラックの自炊小屋の入口は施錠されています。仕方なく、風車側を回ってトイレに行きました。
 山小屋の朝が早いのは、どこも同じです。仙丈小屋でも3時過ぎから、其処彼処で身支度をする様な物音がします。4時を回ると「点灯しようか」といった会話も耳に入って来ます。ご来光目当てで山頂に登る登山客も少なくないようです。
 朝食は6時だったでしょうか。添乗員氏や初対面氏もカメラを携えて、早朝の絶景を写真に収めていた様です。先達婦人は、暫し毛布に包まっています。ガイド氏はと云えば、漫画本の続きに目を落しています。
 自炊小屋の施錠が解かれた頃合い、洗面に行きました。天水の蛇口から落ちる水は、とても冷たいものです。流しの脇では、昨晩も見かけたオッサンがバーナーで朝食を調理しています。他にも何組か自炊するグループがあります。
 ちなみにトイレの行列がないのが不思議です。長衛荘でも屋外のトイレには長い行列が出来ていました。しかし、この仙丈小屋では、一度もトイレ渋滞に遭遇することはありませんでした。
 小屋前の広場には山頂から下山して来る客の姿が続きます。管理人氏が「良い写真取れましたか」等と声を掛けています。既に小屋を出発した客も多い様です。また、これから出発する登山客も少なくありません。
 山では、見ず知らずの人々が互いに挨拶を交わします。都会では、見ず知らずの人間が挨拶を交わすことはめったにないでしょう。早朝にジョギング同行者が挨拶を交わすことがあっても、朝方雑居ビル等でエレベーターに同乗したところで知らぬ同士が「おはよう」と声を掛けることは皆無ではないでしょうか。このあたりは、日本人の特性かも知れません。海外等では、ホテルのエレベーターで見知らぬ外国人から挨拶されることも少なくありません。海外では、それが礼儀とされる様です。
 登山客同士が挨拶を交わす習慣は自然発生的なものだったのでしょうか。人間は相手との距離によって、自分にとって関係があるのかないのか親近感があるのかないのかを悟るそうです。所謂、ヒューマンスペースというやつです。大凡ですが、距離が3m~1.5mなら知人・同僚レベルだとか。1m程度は友人レベル、1m以内なら恋人レベルで、そのレベルにない人に近づかれることには抵抗感を感じると云います。
 したがって、狭い登山道で、まして人気のない登山道であれば、擦違う際に全く無言でいられることは、凄く心理的に抵抗があるのかも知れません。自然と挨拶を交わすことで即席の人間関係を築いているという説もあるとか。逆に挨拶がない、視線も合わせないような人には警戒心が芽生えるかも知れません。
 余談ですが、山での挨拶で興味深いのは、早朝時も「こんにちわ」と言う人が多いことではないでしょうか。こちらが、「おはようございます」と言っても、「こんにちわ」が返されることが少なくありません。
 朝食は座敷ではなく厨房前のテーブルに席を取りました。海苔や漬物等、定番のメニューに、ご飯と味噌汁です。

■仙丈ケ岳15

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 僕達の席の後ろではストーブが焚かれています。食堂の中は、ほど良い温かさです。食事中、今日の行動予定について検討します。山頂には、昨日行ったので、真っ直ぐ下山することにします。
 当初は8時くらいの出発を予定していましたが、小屋に居ても手持無沙汰なので、食事を終えたら即出発することにしました。
 食事を終えて3階の寝所に戻り身支度をします。ザックの中はゴミばかりです。初対面氏も「ゴミ持って帰らねば」とぼやきます。ガイド氏のザックにもゴミ袋がぶら下がっています。ちなみにテキーラはガイド氏に進呈しました。彼曰く「12月の温泉で」と言います。12月のハイキングクラブは長野の高峰温泉です。
 6;30過ぎ、出発です。小屋の前の広場は閑散?とした雰囲気です。山小屋の朝は早く、大方の登山客は出発してしまったのでしょうか。下山ルートは往路と気分を変えて、馬の背ヒュッテ経由だとか。ガイド氏の話では、馬の背ヒュッテを過ぎて、大滝ノ頭の分岐で沢をわたると往路の登山道に合流すると云います。
 仙丈ヶ岳では度々「カール」と云う言葉を耳にします。仙丈小屋も藪沢カールに立地していることは何度か触れました。「カール」と云うのはドイツ語だとか。日本語では「圏谷」と称し、「氷河の侵食作用によってできた広い椀状の谷」のことです。 
 山地の斜面をまるでスプーンでえぐったような地形であり、高山の山稜直下などに見られます。氷河が成長と共に山肌を削り、上からみると半円状ないし馬蹄形状の谷となるのだとか。
 準備が整ったところで下山開始です。ガイド氏を先頭に初対面氏、僕、そして、先達婦人と添乗員氏と続きます。下山当初は朝早いせいか、登山客と擦違うことはありませんでした。緩やかなガレ場をポール頼りに下ります。暫くは緩やかな背の低いハイマツ帯、ナナカマドの群生の中を歩きます。
 丹渓新道との分岐あたりではもう森林帯に入り、鹿の食害防止網の中を下ると馬の背ヒュッテに辿り着きます。ヒュッテ前の水場で小休止です。小屋は丸木小屋といった造りで、お洒落な趣です。女性客にも人気の小屋だとか。
 小屋の入口から食堂の様子が窺えます。ガイド氏曰く「スタッフの食事中」だとか。水分補給等して、いざ出発です。急ぐ旅ではないので、後方から来る足の速そうなグループを先にやって下山を続けます。
 大滝ノ頭の分岐で、沢を渡ります。ガイド氏が「この沢を抜けると五合目に合流」だと言います。ガイド氏に従い沢歩きを続けます。僕と初対面氏は足に少々不安を抱えますが、先達婦人は元気ハツラツです。添乗員氏が彼女の健脚を称して「忍者のようだ」と形容していました。
 何度か沢を渡って、大滝ノ頭に到着です。ここが五合目で昨日歩いた記憶が蘇ります。後は、往路と同じ登山道を下ります。後方からは元気な嬌声を響かせる大学生風の若い男女のグループが迫って来ます。声の様子では女性陣の元気さが突出している感じです。
 彼等をやり過ごし、下山を続けます。初対面氏は何度かスリップして尻もちをついています。僕も彼ほどではありませんが、足下が心もとないのは同じです。昨年、体験した燕岳の下りを思い出します。

■仙丈ケ岳16

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 足下に気を付けながら、ポールを頼りに足を運びます。登りに比べると下りは、やはり早い気がします。樹林帯の中を北沢峠目指して、下りて行きます。「もう少し」と云うガイド氏の言葉に下を見ると、木々の隙間に登山口入口の水場が見えて来ます。更に降りると視界が開けて、バス車両や乗客の待つテントも視野に入って来ました。
 昨日は気が付きませんでしたが、登山口の脇に立派なトイレがあります。バスの発車時刻までは少し時間があります。まずは、テントの中の列に並びます。添乗員氏はチケット売場に急ぎます。
 テントの中には3列に乗客が並んでいます。バス会社の青服の係員が乗客の数を確認しています。人数に応じて臨時便を運行する算段なのでしょう。僕達の後ろにも三々五々、下山客の列が続きます。
 ガイド氏とは、ここでお別れです。彼は反対方面のバスに乗って自家用車を止めた駐車場に戻るようです。毎度のことですが、彼には大変お世話になりました。ガイド氏は、僕達がバスで出発するまで見送ってくれました。次に彼にお会いするのは12月です。
 1時間弱で広河原です。ここで、甲府駅行きのバスに乗り換えです。バスを下車するとバス会社のスタッフが乗継のチケット購入を促します。チケットは屋外の出札ではなく、その左側入口を入った屋内の窓口での販売となっています。窓口には添乗員氏が並んでいます。
 下車したバスに忘れ物があったようです。男性スタッフが声を掛けています。忘れ物はトレッキングポールです。僕達は乗継バスの列に並びます。間もなくバスは発車です。僕は初対面氏と並んで最後部の席に腰を下ろしました。最後尾は座席の後ろに荷物を置けるので便利です。バスには大荷物を持った若い男女が乗込んで来ます。女性も大きなザックを引き摺っています。雰囲気的に大学のワンダーフォーゲルでしょうか。
 バスには往路と同じく還暦は過ぎたであろう元気な老女車掌が乗車しています。男子学生と思しき若者が席を譲ろうとすると「客を立たせてどうするの」と意気軒昂です。この婆さん車掌の指図で全員着席して、いざ出発です。先達婦人と添乗員氏は僕達の左前方の一人席に着席しています。
 途中、芦安温泉に寄るか否か相談しましたが、早めの帰宅を選択しました。甲府駅に到着は13時過ぎだったでしょうか。帰路のチケットは18時30くらいだったので、スマホで予約変更を試みたのですが不調でした。初対面氏は食事してから券売機で良いと悠然としています。
 甲府駅近くでの食事は初対面氏の一声で「ほうとう」を食することになりました。初対面氏はバスから見えた「ほうとう」専門店に一目散です。僕達も彼に続きます。
 店内は結構繁盛しているようです。上り框で靴を脱いで奥の座敷に通ります。ここも満席に近い感じです。店までの途次、先達婦人に「ほうとう」はどんな料理か尋ねました。彼女曰く「料理と云うより・・」「紐皮みたいなうどん」と云う答えでした。
 先達婦人以外の男3人は生ビールを2杯頂きました。「ほうとう」は南瓜のやつを食しました。食後、駅の「みどりの窓口」で帰路のチケットを手配し、解散です。先達婦人と添乗員氏は「えきねっと」35%レスのチケットだったので変更が難しいようです。先達婦人は「各駅で」と言っていましたが・・・。仙丈ケ岳ハイキング無事終焉です。

■真梨子紀行135

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 昨晩、久しぶりに「LIVE No Reason」のDVDを鑑賞しました。たっぷり2時間堪能しました。真梨子さんやヘンリーさんの、おしゃべりも入っていました。アンコールでのヘンリーバンド紹介もフィーチャーされていたことに、あらためて気づきました。ボーナストラックの「桃色吐息十一変化」も新鮮でした。
 幕開けは「TEAR」でした。なかなか渋い選曲がされていたことに驚きを禁じ得ません。この作品、初期のアルバム「Dear」に収録されています。コンサートで聴くことは、めったにない希少品だと思います。
 「Dear」は真梨子さん6枚目のオリジネルアルバムですが、非常に完成度の高いアルバムだと思います。尤も、最初に聴いた時は、「for you …」しか耳に残りませんでしたが・・・。このアルバムは真梨子さん大失恋前の最後の作品でしょうか。浜田金吾との蜜月期間に生まれた最高傑作と言っても過言ではないでしょう。
 「STOP MY LOVE」「漂流者へ」「MY CITY LIGHTS」等々,ふんだんな佳作が収録されています。「STOP MY LOVE」「漂流者へ」は、尾崎亜美の力作です。真梨子さんもコンサートで良く歌っています。
 「Dear」は、1982年4月のリリースです。もう、31年前になります。今年は、なにしろ高橋40年ですからね。「LIVE No Reason」の真梨子さんの衣装も素晴らしいです。オープニングは黒のお姫様のようなドレスです。真梨子さん、黒が好きなのでしょうか。「cinema」コンサート等でも、黒のシックなドレスを纏っていました。
 ヘンリーバンドプレイを挟んで後半では、白のドレスに変身です。白も良く似合います。真梨子さんは、あまり踊りながら歌うことはありません。スタンドマイクに正対して両腕をファイテングポーズ宜しく胸の前に構えて歌うのが常です。ただ、乗りの良い曲ですは、間奏中、ヘンリーバンドと共に軽やかなステップを踏んでくれます。
 そういえば、真梨子さんがステージで踊るのを初めて目にしたのは、「Dear」コンサートだったように記憶しています。「SAMBA MAGIC」でした。この頃は、ステージにコーラスの女性3人組等も居た様に思います。彼女らと、ヘンリーさんたちと楽しく踊っていた姿が思い出されます。場所は、芝の郵便貯金ホールだったような・・。
 今週の真梨子さんは11/10(日)に「びわ湖ホール」で来週は大阪を巡って東京に凱旋です。11/23、24に有楽町の国際フォーラムでコンサート2013も大団円です。小生の手元には既にチケットが届いています。ただ、残念なことにニュージーランドツアーと被ってしまって欠席です。真梨子さんかニュージーランドかハムレットの心境だったのですが、涙を呑んで真梨子さんを諦めました。ミルフォードの空の下、ICプレーヤーで真梨子コンサートを疑似体験するしかありません。でも、クリマスイブにはニューオタニでデイナーショーがあるので、ここで今年最後の真梨子さんにお会い出来ます。
 ニュージーランド出発前に、できるだけたくさんの真梨子さん映像を目に焼き付けていきたいと思います。
 「高橋40年」DISC1、12曲目は「海色の風~君住む場所へ」です。テレビ朝日系「驚きももの木20世紀」エンディングテーマとして使用されました。香港返還記念コンサートに当たって真梨子さんが作詞した作品です。スケールの大きな作品に仕上がっていると思います。確かに地球は回っています。

■真梨子紀行136

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 「フレンズ」は1998年10月のリリースです。当時の人気ドラマだったテレビ朝日系「はみだし刑事・情熱系」の主題歌として流れていました。柴田恭平主演で風吹ジュンや前田愛なんかが共演していました。
 この作品は真梨子さんにとっても思い入れが強い作品のようです。当初はステージでしか歌わず、CD化の予定もなかったと云います。歌詞も何度か書き直されたとか。この過程を映像CDとして発売しています。当時は小生も再生用のPCを持っていなかったので購入していませんが・・。男同士の友情を描いた佳作だと思います。
 「連絡」は2003年発売のアルバム「method」に収録されています。ファンの間では人気が高いのでしょう、幾つかのベストアルバムにも採用されています。小生も好きな作品です。些細なことで別れてしまった恋人の帰りを待つ男心が切ないです。真梨子さんは、こういう詞が得意ではないしょうか。女目線で男の心の葛藤を浮かび上がらせる名人かも知れません。男女の立場は違っても、この詞には真梨子さんの大失恋が投影されているのかも知れません。
 親友・萬田久子さんとのトークで語る真梨子さんの「失恋」の痛手は、それは大きなものだったようです。「もう彼のいない世界にいきたい」といった発言にその心情が如実に表れています。なんの前触れもなく、部屋にもどったら彼が荷物をまとめて消えていたと云うシチュエーションが想像できるでしょうか。そのショックたるや体験したものでなければ分らない世界でしょう。昨日まではラブラブの関係だったとすれば、何をかいわんやでしょう。
 「ラスト・メール」。これも昨今、真梨子さんがステージで好んで歌う作品です。同じく「method」に収録されています。そういえば、このアルバムにはDVDが付録で付いていました。珍しく真梨子さんのトークが収録されています。曰く「自然体」「生き方」等々です。真梨子さんは「自然体」を演じる苦しさを吐露しています。また、野球の松井やイチローにも言及しています。曰く「彼等は数字で評価される」ので歌手とは比べるべくもなく大変だと思う等と語っています。
 「ラスト・メール」は、珍しく真梨子さん以外の作詞です。作詞作曲を森岡勝が担当しています。「method」と云うアルバムは新たな真梨子ワールドの幕開けとなった記念碑的アルバムかも知れません。真梨子さん以外の作詞家の作品を取りあげたと云う意味で画期的だと思っています。
 森岡勝は、「エムズバンドスペシャル」と云うバンドを主宰して活躍しているとか。大分上野ケ丘高等学校の出身だそうです。「ラスト・メール」は、彼の代表作と言って良いでしょう。この作品は男目線で自らの間違いで別れてしまった恋人を取戻そうと決意する男心を歌っている部分で、「連絡」とは対照的だと思います。
 この「対照」を真梨子さんの歌唱は余すところなく表現しています。どちらかと云えば、小生は「連絡」が好きですが、「ラスト・メール」も悪くありません。ラテンテイストなアップテンポな曲は真梨子さんのステージを盛り上げてくれます。
 概して「method」と云うアルバムは佳作の多い、完成度の高いアルバムだと思います。真梨子さんのアルバムの中でも屈指の出来ではないでしょうか。「真昼の別れ」「プロポーズ」「.soy cantante」「それから… Marieと海」等々です。

■真梨子紀行137

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 「高橋40年」DISC1「【Premium Disc】高橋真梨子の40年を語るのに外せない全16曲 」の最後を飾るのは「The Road」です。当に真梨子さんの自叙伝です。
 真梨子さんの両親は、彼女が幼いときに離婚されています。原因は、色々あるでしょうが、やはり父・月夫?さんの病だったのではないでしょうか。父上は自分の病気で家族に迷惑を掛けたくないと身を引かれたのでしょう。真梨子さんの両親はお二人とも広島で被爆されています。父上の脱疽という難病も、母上の死因となった癌も被爆の影響かも知れません。更に言えば、被爆二世である真梨子さんの更年期傷害も被爆の影響を疑ってしまいます。
 広島原爆投下からすでに70年弱、未だその傷は癒えません。人間とは愚かなものです。真梨子さんの父上は真梨子さんが15歳の年に病がもとで亡くなります。当時は既に両脚を切断されていたとか。それでもスクーターを器用に乗り回されていたとか。当然、ミュージシャンとしてサックスも枕元から離さなかったと云います。
 真梨子さんも父上の影響で幼ない頃から音楽に歌うことに親しみます。真梨子さんの歌手への憧れを現実にするのが「ザ・ピーナッツ」の双子デユオです。真梨子さんは彼女達に憧れて歌手への夢を膨らませます。父上にジャズの基礎を叩きこまれ、父の死後は、彼のバンド仲間のレッスンを受けました。
 やがて、真梨子さんは当時飛ぶ鳥落とす威勢の芸能事務所「渡辺プロ」の目に留まります。真梨子さんは勇躍、ひとり状況します。高校2年生くらいだったでしょうか。しかし、ソロで歌う夢は容易には叶いません。スクールメイツの一員として団体での活動が強いられます。
 スクールメイツと云うのは今ならさしずめジャニーズでしょうか。渡辺プロのスター養成機関です。ここから布施明や木の実ナナ、森進一等々が巣立っています。ちなみに森進一は真梨子さんと同期だそうです。真梨子さんは、「お先にどうぞ」タイプなので、こういった環境で自らをアピールするのは苦手です。結果、孤立し、事務所とも対立して故郷の博多に逃げるように帰ることになります。
 「The Road」は、こういった真梨子さんの半生を余すところなく描いています。そして、歌に目覚め、歌こそ人生と悟り、歌い続ける決意を訴えます。大きな失恋を経験し、更年期にも悩まされます。しかし、歌に恋した真梨子さんは歌い続けることを選択します。
 もちろん、その陰には「戦友」である愛する夫君・ヘンリー広瀬の存在を忘れることは出来ません。真梨子さんの作品の中にヘンリーさんをイメージさせる歌も幾つかあります。「The Road」には明示的にヘンリーさんへの感謝等を表現した部分はありませんが、聴けば聴くほどにヘンリーさんが真梨子さんの支えになっていることを強く感じます。

■真梨子紀行138

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 今週は真梨子さん、大阪ですね。そして、11/23,24は有楽町のフォーラムです。もうフォーラムも長いですね。何年目でしょう。真梨子さんは、ご本人が良く語っているように「こじんまりした会場が好き」なのでしょう。フォーラムは5,000人は入るので、確かに大き過ぎかも知れません。
 真梨子さんのソロデビュー後ファースコンサートは有楽町の「よみうりホール」でした。当時は百貨店「そごう」でしたが、今はビックカメラですね。ホール自体は今も健在?で年末には加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」が開催されます。お登紀さんのコンサートにも行きたいですが、年末は函館川湯温泉の予定が入ってします。お登紀さんの「ほろ酔い」は今は亡き日劇の名物でしたが・・・。
 コンサート会場の話柄を続けると、真梨子さんが本格的なコンサート活動を開始したのは2枚目のオリジナルアルバム「Sunny Afternoon」の発売した頃ですね。会場は確か芝の郵便貯金ホールだったと思います。その後は渋谷公会堂や同じく渋谷のNHKホールといった時代もありました。また、池袋のサンシャイン劇場もありました。その後は新宿の厚生年金会館が長く、その次がフォーラムでした。小ホールと云えば、3枚目のオリジナルアルバム「Monologue」のときは赤坂の草月ホールで連続コンサートをやってくれました。
 さて、フォーラムですが、ニュージーランドツアーと重なって出席?出来ません。代理?で誰か行って欲しいのですが、妻や娘、息子も無関心です。小生の真梨子さんへの入れ込みようを家族は宗教だと言い放ちます。真梨子さんのコンサートは「ミサ」で、真梨子さん自身が「教祖」だと云います。まあ、当たらずとも遠からずかも知れません。いずれにしてもチケットは11/23,24両日との1枚づつなので妻に預けて好きにしてもらうしかありません。
 家族は小生を真梨子さんの教徒のように言いますが、小生自身は真梨子さんを企業と見立ててれば投資家だと思っています。その意味では、真梨子コンサートは株主総会だと思っています。小生たち「投資家」は真梨子さんのファンクラブやCD、コンサート等に投資しているのです。リターンはコンサートでの感動その他、諸々の歌の力です。辛いとき、悲しいとき、挫けそうになるとき、真梨子さんの歌で明日を生きる勇気をもらったことも少なくありません。なぜか真梨子さんの歌を聴くと元気が出ます。
 週に一度は真梨子さんの歌をシャワーのように浴びることが習慣になっています。心地よい一時です。投資家としては、投資のリターンを定量的に図る必要があります。PBRやPERといった管理指標も必要です。真梨子さんの株価は?といった興味もあります。宛ら格付け会社の気分を味わえるかもしれません。別途、真梨子株の分析をしてみたいと思います。
 では、クリマスデイナーショーで元気な真梨子さんに会えることを楽しみにニュージーランドに行ってきたいと思います。

■真梨子紀行139

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 今日、夕方に成田からニュージーランドはオークランドに旅立ちます。週末には真梨子さんのフォーラムコンサートがありますが欠席です。本当に残念ですが、クリスマスイブにニューオータニで真梨子さんにお会いすることを楽しみにニュージーランドを満喫してこようと思います。
 さて、巷間、真梨子さんがNHK紅白歌合戦出場内定のニュースで沸騰しています。ただ、報道内容には聊か違和感があります。さもNHKから「出してもらえる」モードですが、真梨子さん的には「出てやる」ではないでしょうか。「桃色吐息」で出場して以来、何度かオファーもあったと聞いています。しかし、真梨子さんは「紅白は見るもので、出るものではない」という信念を貫いてきたはずです。
 そもそも真梨子さんがTVに出ないのは「限られた時間で1曲しか披露出来ないのでは、歌が伝わらない」というところにあるのだと思います。NHKも真梨子さんに登場してもらうなら2,3曲は歌わせて欲しいものです。
 いずれにしても真梨子さんは、今年デビュー40周年です。事務所のマーケテイングもあってメデイアへの露出も増えています。大人になった真梨子さんも周囲の説得を受け入れての紅白出場かも知れません。視聴率低落に悩むNHKとしても高橋真梨子の出場は格好の目玉かも知れません。
 紅白では「桃色吐息」の歌唱が有力視されています。今回は、「高橋40年」に収録されている「セルフカバーバージョン」で歌ってくれるのでしょうか。今年のコンサートでは、スタンドマイクに正対する真梨子さんの両脇にヘンリーさんと万照氏が控えてテインパニーのような大太鼓を大きな撥でリズムを刻みます。これがケルト風の味わいのある編曲になっています。
 詞のイメージはエーゲ海というか地中海というかギリシャ神話を思わせますが、今回の編曲はジブラルタル海峡を抜けて遠く北大西洋沿岸のアイルランド地方を彷彿とさせます。ゆったりとした打楽器のリズムにのせて真梨子さんの艶のある伸びやかな歌声は、これはもうこたえられません。
 今年の年末は日本にいるので、真梨子さんが出場するのであれば紅白を視聴してみようと思います。NHKが、どんな演出をするのかも興味があります。

■出発4

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 ANAラウンジは47番ゲート前のエスカレーターを下りた2Fです。間違えて上に上がるとファーストクラス用のラウンジになります。
 受付嬢にパスポートと搭乗券を提示して入場します。この時刻、ラウンジは大混雑です。良い席がないので、とりあえず日本酒コーナー前の二人用テーブルに腰を下ろしました。
 とりあえずビールと云うことで冷蔵庫からグラスを取って、ビールサーバーに載せましたが、これが空でした。隣のサーバーはサービスしていたので、そちらにグラスを載せ替えました。おつまみも大したものがありません。クラッカー等乾きものです。
 日本酒の銘柄は不明です。4合瓶が逆さにセットしてあってレバーで注ぐようになっています。とりあえず日本酒をグラスに注いで、小さな「おにぎり」があったので、頂きました。
 呑みながら、日暮里から乗ったスカイライナーの車内の情景を思い出しました。席は6Aで、窓側です。そんなに混雑してはいませんでした。平日のせいか、若いビジネスマンの姿が多かったように思います。新聞等読んでいるうちに終点の成田第一ターミナル到着でした。
 外人2名がやって来て写真撮影を頼まれました。一人目は普通のデジカメだったので、難なく処理しましたが、もう一人のカメラは高級なやつで少し手古摺りました。この外人、小生が操作に不案内と見ると「Longer」と言いながら範を示してくれました。シャッターを少々長押しする必要があります。お蔭で目出度く外人2人の記念写真撮影成功です。
 17:40頃、いよいよゲートに向かいます。待合ロビーは大混雑です。女子高生の姿が数多あります。修学旅行でしょうか。KB氏の姿はありません。
 搭乗開始となったので機内に乗込みます。座席は03Bです。機内は2列席が3列ある座席配置です。小生の席は左窓側の2列席で通路側です。隣には40代くらいの外人男性が座っています。
 リュックを頭上のコンテナに収納して席に腰を下ろします。そこに男性CAがウェルカムドリンクのサービスにやって来ます。トレイからシャンペンを頂きました。機材が古いせいか今時のビジネスにしては狭い感じです。おかげでシャンペンを少し零してしまいました。機内も暑くて上着は不要です。JAL等ではすぐに上着を預かってくれるのですが・・。
 KB氏も乗込んで来ました。小生のシャンペンを見て「もうやってるのですか」と声をかけられました。「いきなり配られて」と小生。AKBみたいな女子高生も大量に乗込んで来ます。
 落ち着いたことろでCAが食事メニューを配っています。良く分りませんが、ここまでニュージーランド航空は最低の印象です。席は狭いしTV画面等アメニテイーも貧弱です。「もう2度と乗らない」と思いました。しかし、日本からの直行便は他にありません。在駐日大使館に抗議したいくらいです。ちなみにCAの英語もニュージーランドなまりでしょうか、良く聞き取れません。

■出発5

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 エンタメの液晶TVも座席の袖から取り出すタイプです。食事用のサイドテーブルのような代物で、使い勝手が悪いことこの上なしです。流行り言葉で云うなら「おもてなし」最低です。コストパフォーマンス最悪でしょう。
 日本人CAは一人でしょうか。正月に搭乗したエアメヒコと同じ様な感じです。ビールを頼みました。銘柄が良く分らないので「ハイネケン」にしました。これが、また旨くありません。仕方なく、次は白ワインを頂きました。パンは美味しく頂きました。
 ニュージーランド航空も悪いところばかりではありません。和食はJALよりも上かも知れません。これは、ANAの影響でしょうか。
 エンタメですが、見るべきメニューはありません。日本人向けのプログラムは用意されていない様子です。ここも「おもてなし」なしです。
 座席は03Bです。通路挟んで右側に日本人夫妻。右隣の窓側は30代くらいの外人です。たぶん、ニュージーランド人でしょう。盛んにPCを操作していましたが、今度は入国審査証を記入しています。
 21時頃、気流の悪いところを通過しました。弱冠揺れます。機内アナウンスがありましたが、日本人CAの日本語がおかしく感じられました。具体的なことは覚えていませんが、なにやら妙なアクセントだったような・・。
 男性CAは体格豊かでマオリのようです。元はラグビーの選手でもやっていたのでしょうか。メインデイッシュは「すき焼き」でした。隣の外人、器用に箸を使います。
 前菜は、あまり美味しく感じらません。食材は何か上手く形容できません。メインの「すき焼き」は良い味でした。ご飯も「Good」です。デザートにはアイスクリームが出て来ました。このバニラも「Good」です。しかし、シャーベットは酸っぱくて頂けません。何のシャーベットなのか良く分りませんが・・・。
 ビール「ハイネケン」350ml、白ワイン2杯。本当は、もっと呑んでいるかも知れません。その証拠に少し眠ってしまったようで、気が付いたら現地まで後4hでした。
 男性CAが「おしぼり」を配っています。熱した「おしぼり」をピンセットで摘まんで配っています。続いてソフトドリンクのサービスです。小生、オレンジジュースを頂戴しました。朝食も和食を注文しました。繰り返しますが、このフライトの和食はいけます。
 機内が妙に騒々しく感じられます。機械的な騒音です。機材が古いせいでしょうか。機材は767-300です。他の飛行機は、もう少し静かなような・・・。ボーイング767-300は80年代半ばに生産が始まっているので、随分と年季が入っているのでしょう。
 アメニテイーセットのポーチを開けてみました。中身は「靴下」「アイマスク」「ボールペン」「ハブラシ」「耳栓」等々です。
 朝食は「おじや」です。蟹と野菜、クラゲ等が煮込んであります。味は悪くありません。パンやフルーツを勧められましたが、謝絶させて頂きました。隣の外人さんは何度もテイーのお代りです。小生は、緑茶を頂きました。

■乗継1

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 CAはオッサン2人に、お姉ちゃん一人です。日本人CAは一度、挨拶に来たきり姿を見せません。くどいですが、機材は767-300で古い。シートは狭いし、リクライニングもフラットにはなりません。TVの液晶は座席の袖収納式で、見たい映画もありません。長時間フライトでエンタメNGは辛いものです。
 女性CAの制服ですが、面白い柄です。最初は制服でなく私服かと思いました。紫がかったピンクに唐草模様の様な蔓草イメージです。緑っぽい色に同じ柄の制服を纏ったCAもいます。
 後に分ったのですが、この柄は、やはりシダのイメージだとか。マオリ文化ではシダは永遠の生命を表すと云います。そういえば、ニュージラーンド航空のエンブレムも、このシダを図案化したものです。尾翼に付いています。
 KB氏が挨拶にやって来ました。「おはようございます」「よく眠れましたか」と声を掛けられ、「少し眠ったようだ」と答えました。KB氏は「降機後はゲートで待って」と指示します。「すぐ追いつきます」と言って次の客の元に移って行きました。
 通路挟んで右側の窓側2列席に陣取るご夫婦が同行者の様です。今回のツアーは参加4名と聞いています。後1名は、オークランドでご対面でしょうか。
 空港に着いて、ゲート手前でKB氏を待ちます。さきほどのご夫婦も一緒です。間もなく、KB氏と同行者1名が登場です。挨拶は後にして、入国審査に向かいます。KB氏が「入国審査証とパスポートを準備して」と指示して、審査窓口の列に並びます。
 入国審査は、さほど混雑していません。KB氏も「こんなに空いているのは初めて」だとか。小生の番がやって来て、審査官にパスポートと入国審査証を提示します。審査官が「How are You ?」と言葉を掛けるので、型通り「Fine thank You」と答えておきました。
 難なく入国審査を抜けて、次はバゲージクレームで荷物を受け取ります。幸いにもロストなく全員分のスーツケースが無事出てきました。荷物を持って税関審査です。ニュージーランドは食材の通関が非常に厳しい国です。そこで、今回はカップ麺等の日本の食材持参は諦めました。
 税関申告書を差し出すとスーツケースをカウンターに載せて中身を確認されます。小生はトレッキングシューズを申告しています。靴に泥が付いているとNGだとか。税関の入口には係の男性が居て、「申告するものはあるか」と確認されました。小生はトレッキングシューズと答えたところ、癸韻離ウンターに進むよう指示されました。
 税関の係官は女性です。彼女は、小生がスーツケースから取り出したシューズの底を入念に確認して泥のないことを確かめます。小生、実は靴を2足持参していたのですが、彼女は一足だけの確認で通してくれました。尤も、彼女の目に、もう一足あることは分らなかったでしょうが・・・。もちろん、荷物のX線検査もOKでした。
 全員集合後、国内線ロビーに移動します。KB氏「徒歩10分くらい」と歩き出しましたが、タイミング良くバスが待っていたので、これに乗車しました。

■乗継2

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 バスに乗車すること10分足らずで国内線出発ロビーに到着です。徒歩で、国内線ロビーへと歩き出す前に、同行者と初対面の挨拶をしました。昨今は、個人情報保護が煩いので参加者名簿といった代物は姿を消しました。互いに名乗り合い、旅行中の友誼をお願いした次第です。
 今回の参加者は4名です。ご夫婦が一組とお一人様が、小生含めて2名です。とても並みの海外ツアーとは思えません。ご夫婦はY夫妻、お一人様の男性はS氏です。S氏は酒も煙草もいける元気なシニアです。
 国内線ロビーで暫く時間があるので、一旦解散です。再集合は、32番ゲートに11:45です。Yご夫妻は何やらショッピングに行かれたようです。小生も少しショップを冷やかします。S氏はKB氏とフードコートのテーブルに腰を下ろして雑談されていました。小生も、この輪に加わります。
 聞けば、KB氏「膝の調子が悪い」とか。「半月板を傷めた。血が溜っていて抜いた」と言います。医師からは「今度やったら手術」と宣告されたそうです。KB氏には、かつてイタリアのスキー場で膝を骨折した際の武勇伝を伺っています。
 「発起人ですが、山歩きは遠慮しています」とKB氏は言います。実は、小生もKB氏の会社主催の「ハイキングクラブ」に何度か参加しています。KB氏は、このクラブ立ち上げの首謀者のようです。クラブには専属?のガイド氏がいるのですが、彼を引っ張って来たのがKB氏だと云います。
 「1日、2万歩は無理」とKB氏。「1万歩は大丈夫」だとか。彼は、添乗員ですから普段から結構歩く様です。「ルーブルなんかは1日、15000歩」だと云います。確かに博物館や美術館の類は歩き疲れます。
 S氏は呑み助のようで、早速ハイネケンを買って呑んでいます。S氏曰く「酒は、なんでも呑む」とか。今は、もっぱらビール党だと云いますが、ウイスキーを持参されたと云います。
 KB氏は、ニュージーランドの「白ワインが美味しい」と言います。赤ワインは、「好き嫌いがある」とか。小生は、元々、ワイン等の果実酒は苦手です。ただ、ワインしかなければ仕方なく頂戴します。
 セキュリテイーを抜けて32番ゲートに向かいます。KB氏は、一足先にゲート前のロビーに行っていましたが、ベンチに空席がないほどの混雑です。「そっちで待っていてください」と彼が言うので、手前のゲート前のベンチに腰を下ろします。Yご夫妻も、S氏もやって来ます。
 このゲートに向かうコンコース脇に小さなカフェカウンターがありました。さきほどKB氏が「セキュリテイー抜けると店はカフェがひとつ」と言っていたやつでしょう。「気まぐれで閉まっている」ことも少なくないとか。
 ほぼ定刻に搭乗案内が始まり、三々五々、機内に乗込みます。

■乗継3

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 搭乗が始まりそうなので、32番ゲートに行くと、KB氏が「搭乗始まります」と案内します。S氏やY夫妻も、やって来ました。
 搭乗の列に並ぶと、前方には派手なタトウーを入れたオッサンの姿があります。未だ小生等は刺青を見るとヤクザと云うか暴力団といった反社会的なイメージを持ちます。しかし、世界はタトウーをファッションとして受け入れているようです。それにしても限度があるだろうとは思いますが・・。
 座席は、04Aです。4列目の窓側です。通路側には年配の婦人が、なにやら分厚い書物を背凭れのトレイに載せて熱心に読書しています。リュックを頭上のコンテナに収納し、婦人に声を掛け、奥の席に腰を下ろします。婦人は「Excuse me」と声を掛けると、トレイを片付け席を立って通してくれました。
 真ん中の席には、超ミニで肩も出してる肌の露出の多い女性が陣取りました。長い素足を組んでファッション雑誌に目を落しています。歳の頃合いはアラサーといったところでしょうか。ニュージーランド人でしょう。
 すぐ後ろの席にはビジネマン風男性が二人。韓国人だと思います。このコリアンが煩い。なにやら韓国語で捲くし立てています。中国語や韓国語というのは、基本的に耳に煩わしい言語なのでしょう。偏見かも知れませんが・・・。
 機材はA320。エアバス社製です。中央通路挟んで片側3列席です。天井から吹き出す冷気が酷く冷たく感じられます。止むを得ず、バルブを絞って止めました。CAの制服は、やはりピンクと緑のシダ模様です。
 国内線かつエコノミーですから座席毎に液晶モニターはありません。前方の天井から下がる小さな液晶モニターには様々なクイズが出題されています。ニュージーランドに関する豆知識といった問題です。たとえば、「バーミンガムとダブリンはどちらが南か?」といったような出題です。地理だけでなく、文化や歴史等々幅広いジャンルからの問題が次々に映し出されます。問題が出て暫くすると回答と解説が出ます。結構、勉強になるのではないでしょうか。ただ、小生、長旅で睡魔に襲われます。
 少しウトウトした様ですが、機内の寒さで覚醒します。隣のお姉さんは手足丸出し状態でも寒くないようです。ニュージーランド人ではなくロシア人かも知れません。
 エアバスA320は順調に飛行しています。オークランドからクイーンズタウンへのフライトは2時間弱です。途中アルプスの上空を飛行します。窓側席だったので、何枚か山の写真を撮りました。隣の女性も「Can I taka photograph ?」とかなんとか小生に声を掛け、窓際に身を乗り出して、絶景をスマホに収めていました。
 クイーンズタウンと云う地名は「ビクトリア女王が住むに相応しい町」の意味だとか。150年くらい前にニュージーランドでも「ゴールドラッシュ」があって、金鉱夫たちが拓いた町だと云います。
 さほど大きな町ではありません。ワカテイプ湖に面した中心街は簡単に巡れます。

■クイーンズタウン1

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 クイーンズタウン空港着は14:00頃だったでしょうか。KB氏は「ゲートで集合」と言っていたので、機外に出てゲート周辺で全員集合を待ちます。揃ったところで、KB氏の誘導で、バゲージクレームに進みます。ここでも、ロストなく全員のスーツケースが無事搬出されました。
 荷物を待っている場には現地日本人ガイド氏が登場していました。痩せ形で坊主頭に髭を蓄えていますが、なにやら禅僧のような趣の男性です。彼は、空港近くに居住とか。クイーンズタウン在住5年だと云います。彼の運転で少し町を巡ってホテルに向かいます。
 車はトヨエースでしょうか。車内は、なかなかにゆったり感があります。20分くらい走った丘の上から湖を眺望します。ここで、写真スットップです。
 ワカテイプ湖の長さは、約80kmでニュージーランドで最も長い湖であり、面積は約291平方kmで3番目に大きな湖だとか。標高は310m、南アルプス山脈の南端付近に位置すると云います。
 氷河が削ったU字谷の間に水が溜まった地形になっており、湖は細く長く伸び、逆N形をしているそうです。ダート川が北端に流れ込む他、いくつもの河川が流れ込んでいるとか。湖は、北端から南へ30km伸び、急激に東に曲っています。そのまま、さらに20km伸びて、急に南に曲り、さらに30km南のキングストン近くの湖南端に至るのだとか。
 ワカティプ湖から流れ落ちる川は唯一、カワラウ川のみであり、ワカティプ湖のフランクトン入江でクイーンズタウンの8km東の地点から流れ出るそうです。この湖はとても深く、水深300-400mに達するとか。クイーンズタウン湾には、26.7分周期のセイシュがあり、水面を約200ミリメートル上下させると云います。
 ワカティプ湖は、山々に囲まれた、その風景の美しさで有名だと云います。湖の南の際には、リマーカブルズ山脈があります。それは、スキー場、パラグライダー、バンジージャンプそしてトラッピング・トラックが、手近にあることで、アドベンチャー・ツーリズムの人気の高い実施場所となっていると云います。年代物の蒸気船「TSSアーンスロー号」が、湖面を定期的に往復しています。いくつかの葡萄園も近くにあるとか。
 ちなみに、この蒸気船「TSSアーンスロー号」は、かの豪華客船「タイタニック」と誕生日?が一緒だとか。そういえば、アイルランドに行った際、「タイタニック」を建造したと云う造船所を訪ねたことを思い出しました。
 ガイド氏がホテルに着くまでの間、様々なニュージーランド情報を紹介してくれます。曰く「ワカティプ湖は、丘に上がっても1/3くらいしか見えない」。また、「湖に浮かぶ蒸気船は南半球唯一」だとか。「ルピナスは外来種」。「イギリス人ジョージ・ラッセルが1937年に作出したもの」だと云います。
 ルピナスは、北アメリカ西部を中心に、南アメリカ、南アフリカ、地中海沿岸に200種以上が分布します。花後に枯れる一年草もしくは二年草、毎年花を咲かせる多年草、低木になる種があると云います。

■クイーンズタウン2

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 クイーンズタウンでは朝晩の気温差が15℃ほどあることも珍しくないと云います。「一日に四季がある」とはガイド氏の言です。
 様々なハリウッド映画のロケ地として重用されているとか。中でも最近では「ロードオブザリング」のロケが行われたことは良く知られているでしょう。
 クイーンズタウン郊外には「世界一急な」ロープウェイがあるそうです。ホテルへの途次、その急な斜面が窓外に映りました。その斜度はモーグルで使うコースと同じくらいだとか。その他、「バンジージャンプ発祥の地」と云う紹介もありました。
 「交差点はロータリーが多い」「信号少ない」とガイド氏は言います。更に「ニュージランドの公道は100km制限」だそうです。この言には聊かビックリではあります。日本の感覚なら高速道路です。しかし、日本の4/3の国土に人口が日本の5%くらいだとすれば、むべなるかなといった感じです。
 ホテル着は14;30頃でした。KB氏のチェクインをロビーで待ちます。ホテルは「クラウンプラザ」です。クイーンズタウンの中心部、ワカティプ湖畔に建つホテルです。傾斜地を利用した建物で、湖に面して並んだテラスが印象的なデザイン。客室はゆったりとした造りで、白やベージュを基調にした、温かみのあるインテリアでコーディネイトされているのが特徴だと云います。
 ロビーはさほど広くありません。玄関を入って右側に黒を基調としたフロントカウンターがあります。左側にソファーベンチが幾つか置かれています。突き当りにバーカウンターがあって、その奥がレストランです。レストランの対面に幾つか4人がけ応接テーブルが並んでいます。
 ロビーの床は白の石造りです。とりあえず壁際のソファーベンチに腰を下ろしてKB氏を待ちます。ああ、現地ガイド氏とは今日は迎車だけでお別れです。明日は、オプショナルツアーなので、また明後日お世話になる予定です。
 部屋割りがあり、小生は303号室です。鍵はカードキーです。「差し込みでなく、ドアノブに翳すタイプ」だとKB氏。銘々、鍵を受け取ってエレベーターで部屋に上がります。エレベーターはバーカウンターの前を右に入ったところにあります。
 KB氏「お湯が出るか確認」と注意します。小生も部屋に入って「お湯が出る」ことは確認しました。しかし、コンセントでパニックです。持参のアダプターが全く合いません。ニュージーランドのコンセントプラグはハの字型でした。所謂、O型です。小生の持参したグローバルアダプターには残念ながらO型は装備されていませんでした。事前に調べて、確かC型だったような・・・。結果は誤解でした。O型をC型と見間違えたようです。
 幸いにも、ホテルの案内を見たら「フロントで貸出し」してくれることが分りました。夕食には間があるので、15;10ロビー集合で街歩きの予定です。早速、ロビーに下りた際にフロントでアダプターを借用しました。係の女性に「Room 癲 」を問われ「303」と答えました。

■クイーンズタウン3

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 全員集合したところでKB氏に従い、ホテルを出ます。ホテル前の広い通りを渡り、左に歩くと、すぐに湖畔に出ます。ちなみに現地のドライバーは非常に紳士です。歩行者が横断歩道で待っていると必ず停車してくれます。このマナーは日本人も見習いたいものです。赤坂あたりの通りでは、注意していないとタクシーに魅かれてしまいます。
 さて、湖畔を巡ってKB氏が案内してくれたのは、クイーンズタウン・ガーデンです。クイーンズタウンの特徴的な地形の半島のような土地にある公園です。良く整備された公園で、園内にはバラ園のほかテニスコートなどの施設もあります。この場所から見えるクイーンズタウンの市街地も眺めがよく、隠れた人気スポットとなっているとか。
 整備された芝生の中に遊歩道が整備されています。樹木越しにワカテイプ湖の穏やかな湖面が映し出されます。バラ園は非常に立派なものです。バラだけでなく湖畔には巨木が聳えています。恐らく樹齢何百年なのでしょう。屋久杉ほどではありませんが、幹の太さは尋常ではありません。
 巨木と云えば、北島に広がる太古の森、ワイポウア・フォレストが有名です。固有種カウリの巨木が並ぶこの森には、日本の屋久杉の姉妹木であるニュージーランド最大の巨木「タネマフタ」が聳えていると云います。
 カウリとは、ニュージーランド固有種の巨木で、ナンヨウスギ科の常緑針葉樹のことだとか。かつての乱伐のせいで、現在は絶滅の危機にあることから、伐採が禁じられている貴重な木です。ここは、屋久杉と一緒です。
 タネマフタの樹高はなんと51m、幹の円周は13.8mで、現存するカウリの中で最も大きな木だとか。この森には、ほかにも樹齢2000年といわれる国内最古の「テマツナヘレ(森の父)」や、4本が寄り添って立つ「フォーシスターズ」などの巨木が点在しているそうです。
 公園には犬を散歩させている人々の姿も少なくありません。湖畔の芝生で日光浴する老若男女も珍しくはないようです。概して白人は日光浴が大好きです。
 バラやルピナスを愛でながら歩いていると面白い競技場に出くわしました。ゲートボールにしては大きなボールが良く整備された芝の上に点在しています。金網には「ボーリング場」といった名札が付いています。競技場に隣接した建屋にも「Bowling」の看板があります。小生たちに馴染のある「ボーリング」とは大分趣が違います。S氏も「何だろう」と訝し気でした。
 どうも、これは我々が知っている「ボーリング」の前身と云われる「ローンボウルズ」と呼ばれるスポーツのようです。「ローンボウルズ(lawn bowls)」は、ボウルと呼ばれる偏心球を、目標球のどれだけそばに近づけられるかを競う球技だとか。カーリングに似ていますね。
 イギリス発祥のスポーツで、ボウリングの前身でもあり、オーストラリアやカナダ、ニュージーランドといったコモンウェルス諸国で人気があるそうです。起源は紀元前5000年頃に古代エジプトで行われていたピンを災いや悪魔に見立てた一種の宗教儀式だとか。
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